野州大麻(ヤシュウオオヌサ)の奉納

(H26.12.28)
 神社の新年の準備も最後の詰めを残すのみとなった師走の28日、社頭でお祓いに使う大麻(オオヌサ)が奉納されました。
 奉納者は、「笑観の会」で、千葉市椿森在住の小原強氏を会長とする全国組織。全国の神社に「平和と安寧を祈願」し、参詣者をお祓いする大麻を奉納する活動をされています。当日は21名の方々が奉納奉告祭りに参加されましたが、北は秋田県から南は九州熊本・鹿児島に至る、多彩な地域からの参加でした。
 「野州大麻」ついて製作した『野州麻紙工房』(栃木県鹿沼市)のパンフレットをもって紹介します。
 大麻について
 大麻(大幣、祓幣)は、古代より祓具として左右左と振って不浄を祓い清めるため、又、国家、国民の安寧を祈るため用いられてきました。
 現在は布帛や紙が使われることが多いのですが、古来は麻が用いられていました。麻は人類の営みと切り離すことが出来ない原料で、その霊徳が不浄を払い清めると信じられ、様々な形で神事に使われていました。
 野州大麻について
 古代、阿波国(徳島県)の吉野川流域を中心に大きな勢力を誇り、ヤマト王権成立の立役者となった阿波忌部族は、弥生末期から古墳時代にかけて日本各地に麻殻を植え、農業、養蚕、織物、漁業、製紙、建築、古墳技術を伝播させた産業技術集団祭祀族であり、さらに海洋民の側面も併せ持っていた。
 約1800年前に阿波を出発、黒潮に乗り安房国(千葉県)に上陸し、利根川を遡って下野国(栃木県)に到達しました。
 利根川支流である栃木県鹿沼市永野(旧粟野町)は内陸部で風水害も無く、100日間で3mにまで生長する麻を栽培するには最適地であり、ここが阿波忌部族の最終到達地となりました。
 日本一の麻の産地となったこの地は「野州麻」という国産の最高品質の麻のブランドとして全国的に知られ、現在に至っている。

 雷神社への奉納に感謝を申し上げ、お披露目いたします。
 今後は、この野州大麻によりお祓いいたします。

※ 写真の左が神社で現在普通に使われている大麻で、右側は今回奉納された野州大麻。


笑観の会:野州大麻奉納
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燈籠の奉納

(H26.12.21)
 年末も近づきましたが、神社に燈籠を1対奉納頂きました。
 奉納者は、旭市琴田の八本明氏です。氏は平成2年の雷大神銚子大神幸祭に際し、旭地区の区長代表として奉賛会副会長として奉仕くださいました。これを機に、雷神社節分祭に毎年参加され、更には、平成22年の銚子大神幸祭に当たり、奉賛会顧問として奉仕くだされました。これまでの御神幸祭奉賛会役員として2度も連続して奉仕下された例は無く、大変ありがたい上に、今回の燈籠の奉納となりました。
 感謝を申し上げ、お披露目いたします。


八本明氏奉納の燈籠

八本氏奉納の燈籠3

鳴神山に白雲なびき……

(H26.12.22)
 雷神社の境内の南から南東の端、崖の上の木々の間から富士山と筑波山を望むことが出来る。と言っても、天候や時間帯にもよるのだが。冬は特に良く見える時期で、日没直後の夕富士は黒いシルエットで見えやすい。
 富士も筑波も「霊峰」である。富士は特に人気があり、嫌いな人は少ないだろう。近年の登山者の3分の1くらいは外国人と言われるほど、外国でもその優美な姿。富士山はそれを取り巻く地域・歴史や文化と共に「世界遺産」となっている。
 私も富士が好きだけれど、筑波も同じくらい好きだ。富士が見えても筑波は気象条件や方向が悪いのか、見えないことが多く、ついつい富士よりも筑波を探してしまう。
 池上正太郎氏などの時代小説に時々「筑波おろし」という言葉が出てくる。江戸時代、江戸から筑波山は、何も遮るものが無く見える霊峰である。冬に筑波の方から吹いてくる寒風は、筑波山から吹いてくる「筑波おろし」と名付けるほど印象深かったのだろう。考えてみれば、海上町より東京の方が筑波は近い山である。深田久弥の『日本百名山』にも、唯一1,000m未満の筑波山が選ばれている。

 雷のことを「鳴神」(ナルカミ)とも言う。雷神社のことを「雷大神」以外にも「鳴神様」と言うのはそのためである。雷神社から見広城址、文殊院あたりを「鳴神山」と呼ばれるのもそこから来ている。文殊院は、「鳴井山文殊院延命時」という山号で呼ばれる。

 さて、「海上町」は平成17年7月1日に1市3町の合併により無くなってしまった。「うなかみ」と言う呼称は、大化の改新の律令国家の時代まで遡る。千葉県は「下海上国」(シモツウナカミノクニ)「上海上国」(カミツウナカミノクニ)に二分され、両方に「海上郡」が存在していた。「うなかみ」という呼称が無くなり、僅かに「海上中学校」「海上八幡宮」(銚子市)等に残っているのみである。1市3町(旭市、海上町、飯岡町、干潟町)の合併の折、「旧市町名は使わない」と言う基本的事項がなし崩しにされ、これ程重要なことが住民投票にもかけられずに決められてしまったことは、決して忘れない。そう思うのは私一人ではないはずだ。なぜそうなったかは、記録の残されてしかるべきだろう。。

 旧海上町の『町民歌』の出だしは「鳴神山に白雲なびき……(中略)……富士と筑波を人目に望み…」とある。また、『鶴巻小学校校歌』の出だしは「鳴神山の風清く……(中略)……ひと目に望む富士筑波…」とある。
 富士と筑波は、それほどに親しまれた山なのである。
 今日も、富士は見えるか、筑波は見えるか、と地平線を望むのである。


雷神社から筑波山

雷神社からの富士山

樹木の伐採

1.モチの木が電柱にもたれかかる
  12月8日に、直径66㎝余りのモチの木を伐採しました。この木は8月18日に
 神社の北側の道の反対側の電柱に、倒れ掛かっているのが発見されたものである。ど
うも根が傷んで、ゆっくりと倒れ掛かったため、電線を切ることも無くもたれかかっていた。倒木の原因は、何らかの理由により根が傷んだためと思われる。
  早速、東京電力に連絡し、「伐採承諾書」の提出となった訳だが、それからが長かった。木が太かったため、簡単に高所作業車で伐採できず、再三再四にわたり東電や電洋社に状況を問合せながら、夏は過ぎ、秋は過ぎ冬となって、ついには師走に。越年を危惧する心配もあったが、ついには写真のとおり、12tのクレーンと高所作業車による伐採となった。
2.杉の伐採や倒木・枯死
 杉(直径70㎝)、椿(46)、タブ(66)、スダジイ(110)、ヒサカキ(18内外)が10本ほどが、ここ2年余りで枯死した。また、マキ(68)やスギ数本が傷んで風によって倒れた。
 ここ数年、原因不明で立ち枯れる木が増えている。タブなどは葉を付けたまま立ち枯れており、センチュウ等の可能性があるが、それでも枯れる本数が多い。神社にとって「緑は神の衣」と言われるくらい大事なもので、極相林等として自然が保持されている。昔、松の大木が次々にマツノザイセンチュウにより枯れ、全国的に神社の森が大打撃を受けた。松は復帰しないが、今は緑が緑が蘇ってきている。
 雷神社でも、当地の森を構成しているスダジイ、モチ、カシ、ツバキ、タブ、マキ等を、近隣の自然から調達して植樹している。樹木は10年、20年と年月を重ねれば、立派に成長していつの間にか、神社の杜に溶け込んでくれる。
 私の知らない100年後200年後には、立派な大樹として堂々と立っているだろう。
 そう期待したい。


倒木伐採

倒木伐採 (2)

電柱の倒れたモチの木

倒れたマキの株

枯れたスギの伐採

枯れた椿の伐採・椿

枯れかけたシスダジイ